むくんでいる(2004/11/28) |
とても良くしてくれた、やさしく素敵なNs(今は小児科班長)さんと一緒に(2004/12/5) |
2004/11/24〜12/23 11/23夜から熱も下がり寝るようになったが、呼吸数までも低下していった。翌日の早朝もSPO2が低下し、顔面蒼白&呼吸数が10を切ることが1時間毎に頻発。11/24 16:30再び口から挿管し人工呼吸器をつけICUに入った。翌日、眼科検査してもらったところ「先天性白内障」と診断。「進行しない」と眼科部長に断言されたが、たった2週間で、右目だけだったのが両目とも真ん中が肉眼でわかる程真っ白に(下の写真)ベンツマークのように進行していった。 |
手足に点滴し、頭は脳波(2004/12/11) |
2004/12/14 お食い始め |
2004/11/28 |
そして、だんだんむくんでいった。義母にむくむと危険(死が近い)だから注意して!と言われ、毎日2回・15分間の面会に1人で行く度にとても息が詰まりそうになった。また、今まで異常がなかった脳波にも12/3に初めてスパイクが現れ、持続的に脳波をとることに。フェバノールビタールというてんかんの薬を投与開始すると同時に、呼吸を強くする薬が使えなくなった。そして呼吸器をなかなか外せなくなり、点滴も中心静脈から投与してドルミカムという薬を使い、強制的に眠らされている状態になっていった。(呼吸器を抜かないようにと) | ||
奥の大口人形がパパからのプレゼント |
2004/12/24~2005/1/2 初めてのX'masもIお正月もCUにいた。バアバからはお菓子ブーツ、パパとママからは、パパの声入りの黄色いぬいぐるみ(ABR検査で90dbでも両耳聞こえないことがわかってはいたが、オルゴールを鳴らすと寝るという事を聴き、2人で選んだ。)をプレゼント。心なしか、ぬいぐるみのパパの声に少し反応しているように見えた。日中サンタさんからもプレゼントが届いて、よかったね。(先生がサンタの格好に扮して届けてくれたらしい。知ってたら写真をとったのにぃ。見たかった〜(笑)) この頃、一部の年配ナースさんから、がいちっちがICUに居ることに対して抵抗を受けていた。しかし初めての正月。なんとかカウントダウンを一緒にできないかと相談したところ、面会時間外にも関わらずOKが!断られると思っていたのでパパとママは大喜び!若いナースさんの当直だったので、とっても快く対応してくれ、電気が消えたドアの前でお年玉を用意して待っていると、わざわざ知らせに飛んできてくれた。当直だった主治医の先生もICUに足を運んできてくれ、皆で一緒に「あけましておめでとう!」と祝ってくれた。最高のNEWYEARだったね!がいちっち。ご協力して下さったナースさん達と主治医の先生、本当にありがとうございました。一生の良い思い出です! |
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お年玉もらって、べぇー |
素敵なお正月にV(ピース) |
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2005/1/3〜2005/1/16 その後も一部の年配ナースさんからの抵抗(入室拒否)は続いた。「赤ちゃんなんだからNICUでみればいいのに」「元気なんだから一般病棟で充分」等といわれたりした。NICUは1回外に出した赤ちゃんを中に入れると、他の赤ちゃんが感染する可能性があるので、管理上できない。病院の内部事情で出来ないことを、我が子の病状が進行し、原因不明で不安な思いを抱える親に文句いうのは筋違いであり、ナースとしての自覚が足りないと思うのと同時に、とても悔しくこの医療現場に落胆した。危篤間近の大人が多く、生死の感覚が麻痺しているのかもしれないが、「24時間完全看護が必要」と判断した先生の意見を、ナースが否定する事はおかしいのではないだろうか? 県病は総ベッド数705に対し、。かなりベット数が少ないので、常に満床状態で、その場合一番最初に、がいちっちが出される。そんな訳で、しょっちゅうICUを出たり入ったりし、その度に大雪の中1人で荷物を抱えて移動するママは大変だった。毎日救急車が聞こえる度に、がいちっちが出されていないかと不安な日々を過ごした。ICUで赤ちゃんはがいちっち1人で、面会にいくとポツンとしていて可愛そうだったが、空調管理もされている分、体温調節ができず抵抗力がないので、安心できる所だった。夜に暖房が止まる一般病棟にいたなら、悲惨なことになったかもしれない。いつもは穏和な先生も、ICUに入れさせまいとするナース達に、1人大声をあげて、がいちっちの為を思ってICUにいさせてくれた。辛い想いをしてまで守ってくれる姿に嬉しくて、初めてママは主治医の先生の前で泣いた。いつもありがとう先生。 他の子でも、がいちっちと同じような思いをさせたくないと感じ、ICUの少なさやNICUばかり予算をまわしその後のフォローする体制がなっていない事を指摘しても、この悪い現状に目をつぶり、何も動かない病院&県の姿勢に甚だ苛立ちを感じずにはいられない。 日記5へつづく 日記メニューへ トップページヘもどる |